文在寅政権の「慰安婦原理主義」体質の弊害
韓国国会議長の「天皇謝罪要求」をめぐって思うのは、こんな発言をしたら相手側がどういう反応を見せるかまで思いが及ばない、想像力の徹底的な欠如ということだ。国どうしの外交でも、一般的な人付き合いでも、必要なのは、そうしたデリカシー・繊細さを伴った想像力を働かせることだろう。
<天皇の謝罪は永遠になくなった>
韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長は、ブルンバーグのインタビューに答え、「一言でいいのだ。日本を代表する首相か、あるいは間もなく退位される日王(天皇)が望ましいと思う。日王は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」と発言した。
韓国外務省はこの「戦犯の息子」というくだりについて、そんなことは言っていないと否定し、「戦争当時の日本の国王の息子」という意味だと釈明したが、ブルームバーグ側がその直後に音声データを公開したため、嘘はすぐにばれた。相変わらず、すぐばれるような嘘を平気でついて恥じないのが彼らの体質のようだ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190212-00000107-sph-soci
ブルンバーグでの発言に波紋が広がり、安倍首相や河野外相が謝罪と撤回を求めると、「謝罪する側が謝罪せず、私に謝罪しろとは何事か。盗人猛々しい」とまでぶち上げた。まるで逆ギレ、居直り強盗とでもいうべき発言である。そもそも自身が発した暴言がすべての始まりであるにも拘わらず、責任を他人に転嫁し、相変わらずの議論のすり替えの繰り返しだ。自身の発言が原因で、日本の国民やメディアの反発が巻き起こっているにもかかわらず、一連の騒動は「日本の国内でコーナーに追い詰められた安倍首相の政略的な思考によるものだ」と責任を押しつけたのである。世論調査の支持率に変化はなく、大きく落ち込んでいる訳でもない安倍首相に、追い詰められているという状況はなく、韓国との間でことさら事を荒げて、自身の支持率を上げようと図る理由もない。
さらに聯合ニュース(2月18日)の記事によると、「文氏は10年前に天皇から韓国に行きたい、仲立ちしてほしいと言われた」といい、その時は、「何はともあれ、(慰安婦被害者の)ハルモニ(おばあさん)たちが集まっているところに行き、ひと言『すまない』と言うだけでいい」と話したとし、「歴史の法廷には時効がなく、歴史的な犯罪の被害者であるハルモニたちに謝罪しなければならない」と語気を強めた。」とある。http://news.livedoor.com/article/detail/16036842/
宮内庁のHPにある「天皇皇后両陛下のご日程」の2004年から2010年までの記録に、天皇陛下が文議長と会見したという記録はないという。(夕刊フジ2月21日「天皇陛下から訪韓の仲介を頼まれた」文議長発言の“真偽”)https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/politics/news/190221/plt19022121030027-s1.html
しかも、憲法に定められた天皇の役割を大切に守っている陛下が、政府を飛び越えて外国の政治家に直接外国訪問を打診することなどあり得ない。事実、過去に中国の温家宝首相が天皇陛下との会見で直接、訪中を要請した際も、『自分の外国訪問は政府で検討することになっています』とお答えになっている。
李明博元大統領は2012年8月、「日王は「韓国を訪問したいと言っている」が、私は、韓国民に心から土下座したいのなら来い、とつたえた。 重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。痛惜の念だの何だのと言う単語一つを探して訪ねてくるなら来る必要はない」と暴言を吐いた。この「韓国を訪問したいと言っている」と言うくだりは、後に「韓国を訪問したいなら」という意味だと訂正している。一事が万事、韓国政治家の発言はすべて嘘から始まっている。
こうなるともはや、相手に対する思いやりとか、気遣いはいっさいなく、言いたい放題、言い放しとなる。一度口にした言葉は、取り戻せない。自分の面子にかけて撤回も修正もできないとしたら、言い続けるしかないだろう。
<過去に言及しても日本の現在を理解せず>
李明博元大統領や今回の文国会議長らの暴言によって、仮に天皇陛下ご自身が個人的に謝罪する意思を持っていたとしても、それを実行する機会は永遠に失われたことに、そしてそうした状況に追いやったのは自分たちの発言であるということに、本人たちはもちろん韓国国民も気づいていないし、たぶん理解もできないだろう。天皇を無理やり政治の場に引き出したからである。
日本に対して「過去の歴史を見つめよ」といい、ことあるごとに歴史、歴史といいながら、韓国は、現在の日本の現実について目を向けようとしないし、いっこうに学ぼうともしない。戦後の憲法体制下では天皇はあくまで象徴としての存在であり、政治的発言を含めて天皇を政治の場に引っ張りだし、政治利用することは厳に慎まなければならないというのが日本の国民的コンセンサスなのだ。そのことを韓日議員連盟会長まで務め、「知日派」を自認するこの国会議長は、おそらく知らない。
韓国の若い人に、戦後の象徴天皇制を説明しても、そんな話は初めて聞いたといって驚き、天皇はいまだに強い権力を持ち、国民に影響力を発揮していると教わってきたという。日本語を勉強し流ちょうに話せる若者にしてその程度の日本理解なのである。間違った記述の教科書で学ぶ弊害の大きさが分かる。
<「心からの誠実な謝罪」とは何?>
ところで文議長は「慰安婦問題において最も基本的な問題はただ一つ、心のこもった謝罪」だとし「誠意ある謝罪が一言あれば終わることを、なぜこのように長々と引っ張っているのかというところに私の発言の本質がある」と強調した。一方で、 文議長は「合意書が何十件あっても何だというのか。被害者の最後の容赦があるまで謝れということだ」と語っている。つまり、この間の日韓の外交交渉の経過が示すように、政府間でいかなる合意をし、償い金などの金をいくら支払っても、慰安婦の最後のひとりまでが許すと言わないかぎり、結局は謝罪したことにはならないのである。
ニューヨーク・タイムズは1月30日付で、元慰安婦の金福童(キム・ボクドン)さんの死と生前の活動を紹介するを記事を掲載した。この記事を書いたソウル支局長の韓国人、チェ・サンフン記者は、
金福童さんを病床でも日本に真の謝罪と法的な賠償を求め続けた「不屈の活動家」として紹介する一方、日本政府は「元慰安婦への正式謝罪や補償を拒絶し続けてきた」と主張した。さらに2015年12月の日韓合意に関しても「金さんらの反発からみて、元慰安婦の救済には何の役に立たないのは当初から明白だった」と論じた。
これに対して外務省の大菅岳史報道官は、ニューヨーク・タイムズに反論を寄稿し、2月7日の電子版に掲載された。寄稿文では「日本政府は数多くの機会において元慰安婦に対する誠実な謝罪と悔恨の念を伝えてきた」、「元慰安婦の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やす取り組みを行ってきた」と主張し、存命だった元慰安婦47人のうち34人が、日韓合意に基づく「和解・癒やし財団」から「支援金を受け取り、取り組みを歓迎した」とし、これこそが「否定しようのない事実だ」と強調した。
ところが、この外務省報道官の反論に対して、韓国の誠信女子大の徐ギョンドク教授は18日、ニューヨーク・タイムズ編集長宛ての手紙で「これは全く事実でない。慰安婦ハルモニ(おばあさん)を直接訪ね、心からの謝罪をしたことはただの一度もない」と切り捨て、さらに「このように日本政府は(旧)日本軍慰安婦に関し、世界中の人々に向けた歴史歪曲にばかり専念している」と一方的に非難した。
ニューヨーク・タイムズのソウル支局長の「日本政府は謝罪も補償も拒絶してきた」という主張や徐教授の「日本政府は嘘ばかりで、慰安婦を直接訪ね、謝罪したことは一度もない」という主張がほんとにその通りだとしたら、日本政府がこれまでやってきたことはいったい何だったのか、村山談話のあと1995年に設立された財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」の活動はなんだったのか、ということになる。
アジア女性基金の韓国における活動は、台湾やフィリピンなど他の国とは違って、慰安婦支援団体の「挺対協」(挺身隊対策協議会)やマスコミから、国家補償ではない償い金は受け入れられないという激しい抵抗と批判を受けた。それでも、当時、韓国政府に登録された元慰安婦236人のうち61人が基金から償い金の支給を受けた。しかし、彼女らは「民族の自尊心を売った連中(돈 몇 푼에 민족적 자존심을 팔아먹은 화냥년)」と糾弾され、韓国政府の支援対象から外されるなどの迫害を受けた。償い金の支給に当たっては、アジア女性基金の代表理事らが直接、元慰安婦の女性と面会し、橋本龍太郎に始まり、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎までの歴代4人の首相のお詫びの手紙も手渡している。
アジア女性基金の理事を務め、去年亡くなった大沼保昭元東大教授は「韓国社会は反日さえ言っていればいいという体質」であり、アジア女性基金は韓国でまともに評価されることはなく、結果として日本では「韓国に謝罪しても意味がない」という意見が強くなり、慰安婦問題の解決に消極的になったとしている。(ウィキペディア「アジア女性基金」)(https://ja.wikipedia.org/wiki/女性のためのアジア平和国民基金)
どんな形で謝罪しても謝罪とは認めない。金を出しても趣旨が違うと受け取らない。日本がどういう対応をとろうと、結局は許さないのである。反日の格好の材料として使うためには、慰安婦問題に最終合意や解決などあってはならないのだ。
2015年12月の慰安婦問題に関して「最終的かつ不可逆的解決」を謳った日韓合意を文在寅政権が破棄し、合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」を解体したのも、実は金福童さんが合意の発表直後に日本大使館前で、合意破棄を訴えてひとりデモを行ったのがきっかけだったと言われる。文在寅大統領は金福童さん一人のことをあまりにも重視しすぎて、その他の周辺の声には耳を傾けず、和解・癒やし財団から慰労金をもらった慰安婦たちには会おうともしなかった。
たった一人の慰安婦の声が、死してなお、政治や外交を動かすというのは尋常な事ではない。「神になった」とまでは言わないが、「慰安婦さまさま」「慰安婦の言うことは間違いない」という「慰安婦信仰」、あるいは「慰安婦至上主義」、「慰安婦原理主義」といったものに支配されているのが、今の文在寅政権ではないかと思ってしまう。
しかし考えてみれば、戦前に自分の娘や妹が「強制的に拉致・連行された」にも拘わらず、抗議や抵抗を示し、救出を求めたという形跡は一切なく、戦後も45年以上が経過した1990年代になるまで元慰安婦として名乗り出た人は一人もなく、日本の弁護士など民間の運動に後押しされて、ようやく名乗り出たという状況だった。慰安婦が自ら名乗り出ることができない状況を造ったのは、韓国の戦後の政治体制と韓国国民自身である。そして「日本叩き」の有効なカードとして慰安婦を使っている。慰安婦をそういう物語に仕立てたのは韓国の人たちである。
「積弊清算」というなら、慰安婦を戦場に送り出し、アジア各地に引率した朝鮮人の仲介業者を含めて、慰安婦という存在を戦後も長い間、公に出来なかった韓国社会のあり方にも、メスを入れるべきではないか。
文在寅大統領も文喜相国会議長も、天皇や首相からの謝罪を求め、暴言を吐くことで、日頃の鬱憤は晴らすことはでき、国民情緒から多少の共感は得られるかもしれないが、それによって日本から何かを得られるとは考えていないはずだ。
日本人並びに日本政府としては、そうした韓国と付き合うのはただしんどいだけで、慰安婦問題には今後とも関わらず、放置せざるを得ないと思われる。
それにしても、戦後70年以上も経って、政治家もメディアもいまだに慰安婦問題を戦前からの重い十字架として引きずっている姿も歯がゆいが、それによって、北朝鮮の核・ミサイル問題や拉致問題などといった、いま現在、国際社会が抱える深刻な問題に対する韓国国民の関心の薄さや、厳しい経済制裁下に置かれ、死に物狂いの自給自足状態に置かれているはずの同じ民族同胞への関心や思いやりが新聞やテレビではほとんど見られず、手を伸ばせばすぐに届くはずの隣人への想像力も働かない韓国国民の冷淡さこそが気になる。
日本人ジャーナリストが北朝鮮国民の肉声を拾った以下のようなリポートこそ、韓国メディアは自ら発信すべきではないのか。
▽石丸次郎「北朝鮮内部の「肉声」を聞く――制裁は特権層を直撃 揺れる金正恩政権」アジアプレス2月23日
0コメント