ラムザイヤー教授への迫害はもはや国際的政治犯罪だ

<慰安婦は「性奴隷」ではない その①~白紙委任状という罠~>

ハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授が「慰安婦は契約に基づく自発的な売春婦」だと論じた論文に対する韓国の反応は、異常すぎる。これがまともな近代的知性・理性を備えた国家や社会なのか、と疑ってしまう。産経新聞がこの論文を紙面で紹介したのは2021年1月31日だが、それから2か月近く経った今でも新聞・テレビでは連日、この問題が取り上げられ、「慰安婦は性奴隷だった」というステレオタイプの主張しか、まったく受け入れられず、まっとうに学術的に議論しようという雰囲気はまったく見られない。そこにあるのは憤怒と憎悪、ありったけの悪口雑言の非理性的な対応だけだ。

そればかりでなく、ラムザイヤー教授自身は、殺害をほのめかす脅迫メールを受け取ったことを明らかにしている。「金で論文を書いた」や「親日派のデマ、でっち上げ論文」など人格攻撃や人種差別的な脅迫・ハラスメントだけに収らず、すでに身の安全に関わる人身攻撃まで起きている。たった一人の学者・研究者の学術研究活動に対するこれだけの集団的な迫害は、もはや国際的・民族的・組織的な政治犯罪ともいうべき事件でもある。

彼らの主張の一つは、ラムザイヤー教授の論文は、学術誌に掲載すべきではなく、発表も出版も中止すべきだという言論弾圧であり、学問の自由、思想の自由、表現の自由を封殺しようとするもので、人類が現代社会に至るまでに営々として積み上げ、ようやく達成できた基本的人権、近代の自由市民社会の原則を踏みにじる、まさに反人類的、反民主主義的な行為なのである。

それにしても、韓国という国とそこに暮らす民衆は、なぜ、そこまで「慰安婦は性奴隷である」ということに頑なに拘る必要があるのだろうか?

そもそも、「性奴隷」とは、いかなる存在なのか。日本人にとっては歴史上、全く馴染みのない概念であり、存在なので、性奴隷とは何か、想像を巡らせるだけでも困難だが、実は、韓国の人々にとっては、性奴隷を考える材料やヒントは、歴史的にも、現在の身近なところにも溢れている。わずか100年ちょっと前の朝鮮時代の奴婢や白丁、歴代中国皇帝に献上された貢女たち、それに現代の北朝鮮に暮らす人々とそこから脱出した女性たちの運命。北朝鮮を脱北した女性たちは中国で人身売買の対象になり嫁不足の農村に売られ拘束されている。さらに同じ中国といえば、韓国人たちはいっこうに関心を示さないが欧米諸国が深刻な人権問題と扱っている、新疆ウイグルで強制収容されてレイプされ、強制避妊手術を受けるウイグル人女性の存在もある。そしてつい最近、米アトランタで起きたアジア系女性を狙った銃乱射事件で、マッサージパーラーに勤める韓国系女性4人が犠牲になったが、なぜ彼女らがそんな場所で働かなければならなかったのか、まさに海外に輸出された性労働者の実態ではないのか。

アトランタで働く韓国人女性や中国国内で人身売買される脱北女性を「性奴隷」とは呼ばないとしたら、慰安婦との違いは何なのだろう?変な言い方だが、そもそも慰安婦が性奴隷でなければならない理由とは何なのか?

ところで、「性奴隷」という実態は、戦地の慰安所にあったのではなく、そう呼ばれても当然の悲惨な事例は、実は、当時の朝鮮の中で多数見られたことがわかった。以前にも、このブログでは、当時の朝鮮の新聞紙面には「人肉市場」とか「人肉商」という言葉が盛んに登場し、貧しい親が金のために簡単に娘を売り払い、その娘を苦界に沈める悪質な人身売買の仲介人・ブローカー、つまり「人肉商」が暗躍していたことを紹介した。

そうした「人肉商」や「女衒」と呼ばれるブローカーは、それこそラムザイヤー教授が証明したように、前払い金を親に支払い、年限を決めた「年季奉公契約」で娘を預かる約束をし、戸籍謄本や印鑑証明などの公文書と親の承諾書を受け取り、ある意味、合法的に娘の受け渡しを行なっていた。そのため、たとえ売春宿に売られることが分っていても、ブローカーが養子縁組を偽装し、親の承諾書を持ち、戸籍を変えた場合などは、警察はどうあがいても摘発することはできなかったといわれる。

ところが、そうした「人肉商」や「女衒」より、もっと悪辣で犯罪的な人身売買ブローカーがいた。少女を拉致誘拐する誘拐犯である。実は「朝鮮南部連続少女誘拐事件」というタイトルでウィキペディアWikipedia日本語版でも紹介されている。ここで言う「連続少女誘拐事件」とは、一人の誘拐犯による一連の誘拐事件という意味ではなく、1932年から1939年にかけて各地の警察署によって摘発された個別の拉致・誘拐事件をまとめて指しす言葉で、該当のウィキペディアには合わせて14件の誘拐事件を取り上げている。しかし、これらはあくまでも警察に摘発され、しかも当時の新聞紙面で報道された件数に過ぎず、未遂や事件として摘発できなかった件数を含めれば、ここで取り上げられたのは氷山の一角かもしれない。

われわれ日本人にとっては、悔やんでも悔やみきれない「横田めぐみさん事件」をはじめ、北朝鮮による多くの日本人拉致事件を見るまでもなく、拉致・誘拐は朝鮮半島の人々にとって昔からの日常茶飯事のことだったのである。

「朝鮮南部連続少女誘拐事件」のなかでもっとも有名なのが、「河允明(ハ・ユンミョン)事件」と呼ばれる事件で、当時の新聞には「『稀代の誘拐魔』夫婦逮捕」という見出しの下に「血を吸われた処女が65人」とあり、事件の全貌を伝えている。

これについては、『反日種族主義』の著者の一人で李承晩学堂理事の朱益鐘(チュ・イクチョン)博士のYoutube動画「河允明事件で見る植民地朝鮮の人身売買市場」の詳細で明快な解説がある。

https://www.youtube.com/watch?v=0BdUYhJdk_Y

(以下引用)該当記事には、主犯の河允明(ハ・ユンミョン40歳台)は、その妻・金春教(キム。チュンギョ36歳)とともに「貧農を説服して女児を誘引」「高価で青耬(つまり「遊郭」)に賣喫(メキッ매끽)」つまり売り渡したとある。記事によると夫婦は1932年から警察に摘発される1939年3月まで7年間にわたり、朝鮮南部の農村を回り、貧農の娘(年齢は10代後半)を誘い出し、京城の売春宿に売却した。この間の被害者の総数は100人を超え、京城のほか満州、中国にも婦女を送り出したという。この中には日本軍慰安婦と関係ある女性はおらず、慰安所と直接つながっていたケースはないという。

その手口は、農村に行ってみすぼらしい服を来ている少女を見つけるとその親のもとに行き、養女にならないかと誘う。その際、誘い水として「一度綺麗な服を着てみないか」、「いい働き口を紹介する、学校に入ってもいい」、「将来、いいところに嫁に出してやる。金持ちの家の嫁にしてやる」などといって声をかける。また「京城にいけば贅沢できる、製紙工場とか煙草工場、デパートなどに就職できる」などといってデパートの写真などを見せたという。

そして10~20円、今のお金で10万円~20万円を親に渡す。実は当時の貧農は1円といえども現金を持たず、そんな多額の金は見たことがなかった。金を渡す見返りに、戸籍謄本と印鑑証明、それに白紙の委任状を受け取る。それで必要書類のすべてが手に入る。

河允明は、そうやって農村から連れてきた女性を紹介所と女衒を介して遊郭や料理屋、居酒屋に娼妓や酌婦として売却した。その際、女性1人につき平均4~500円、顔が綺麗で商品性があれば1000円以上を受け取ることができたという。わずか10~20円を親に渡しただけで、その20~50倍の値段で娘を売却していたことになる。これがさらに中国や満州に売られるときには1000~2000円に膨れ上がるという。

こうして、親に金を与えて婦女子を渡され、それを売春宿や料理屋に転売する現象は、当時はありふれていた。朝鮮の農村と京城などの都市を結び、さらに中国や満州につながった多段階の人身売買ネットワークが作られていた。

ところで、貧しい農家から娘を誘い出すとき、白紙委任状をとることが有力な手段として使われた。一般的に、女性を娼妓や酌婦にする場合の契約書には、従事する年限、契約金(前借金)の額、どの店(遊郭や料理屋など)で何(酌婦とか娼妓)をするか、の仕事が明記され、食費や衣類、消耗品は抱え主の負担、年限前に解約すると違約金を支払うなどの規定も書かれている。そして日付、婦女子の名前、本籍・住所を書いて、捺印し、さらに連帯保証人(大体は親)の住所・名前、捺印。最後に抱え主の名前が書かれ、この契約書を2通作成する。

しかし、これが白紙の委任状になると、様式は推定だが、「戸主(親)の何某は何某(娘)を何某の養女にすることに同意する」と書かれ、日付、女性と戸主の名前、本籍と住所、捺印はあるものの、受け手である抱え主の「何某」殿の部分だけが空白になっている。つまり、ここには河允明の名前でも、遊郭や料理屋の抱え主の名前でも書き入れることができるのだが、女性を養女にした途端、名義上の養父はその娘を再びどこかに売却するなど、任意に扱うことができる。こうした白紙委任状と戸籍謄本、印鑑証明を取得するだけで、手続き上は、この人身売買は合法的なものになる。

河允明はこうして1932年から100人あまりの婦女子を農村から誘引して京城の遊郭に売り渡し、警察はこれを不法だと見て捜査に着手したのだが、その後の刑事処罰の記録はないという。つまり証拠不十分で不起訴となった可能性があるという。

こうした人身売買事件は河允明事件だけではなかった。別の新聞記事には「50人余の処女を誘引、北支、満州へ大部隊(つまり大人数)を賣喫」「養女にするといって白紙委任状を受けて犯罪を敢行した」と見出しにある。

同じころ、「裴長彦事件」が摘発された。主犯の裴長彦と従兄弟や甥など一族による犯罪集団で、忠南一帯で4年間にわたり約130人の婦女子を誘引し京城や北支、満州に売っていた。彼らも養女になるという白紙委任状を受け戸籍謄本と印鑑証明を手に入れていた。新聞の写真をみると10歳を超えたばかりの幼い子どももいた。

「金奥萬事件」というのもあった。朝日新聞南鮮版(1939年3月28・30日付)によるとは、金奥萬ら一家5人は1935年頃より朝鮮半島各地の農村から「養女にする」と称して女性を人身売買し、満州方面に売り飛ばし、その被害者は100人にのぼった。被害者の大部分は養女に貰い受けると甘言を弄し、委任状を偽造して連れ出すなどした。摘発・捜査に当たった警察の署長は、無法な人身売買は周旋・紹介業などの悪徳業者によって行われることがほとんどだが、「人事に関する商売なので暗々裡に事が運ばれる場合が多く、従って犯罪も多いのだが、常に個人の一身上の問題なので、警察も手を着けがたい場合が多い」と捜査の難しさを嘆いている。

新聞の見出しにもなっている「白紙委任状」という「契約書」が存在したのは間違いない。ラムザイヤー論文を批判する人々は、契約書の現物がないことを、論文が虚偽であることの証左にあげている。しかし、「白紙委任状」は私文書であり、契約が履行され、あるいは前借金を返済したり年季期限が切れたりした後には、残しておく必要がない、むしろ残しておいてはいけない書類なのだ。契約書の現物が見つからないのは当たり前のことで、そんなことにも想像力が及ばない論文の批判者は、まっとうな思考回路の持ち主といえるだろうか?

周縁から中国を覗く

拡張覇権主義のチャイナの姿をその周縁部から覗いてみる。そこには抑圧された民族、消滅させられていく文化や歴史が垣間見える。

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