台湾映画「軍中楽園」に見る「戦場と性」
台湾国民党軍の慰安所を描いた台湾映画「軍中楽園」(Paradise in Service)が、ことし5月日本でも公開される。台湾のアカデミー賞といわれる金馬奨映画祭(2014)で最優秀助演男優賞と優秀助演女優賞を獲得したほか、『ベルリン国際映画祭』や『釜山国際映画祭』に出品され話題となった。鈕承澤(ニウ・チェンザー)監督がメガホンを握り、あの侯孝賢(ホウ・シャオシエン)が編集に参加している。日本では未公開のため本編を見ることはできないが、予告編やメーキング映像、ニュース映像など多数がYouTube上に公開されていて、映画のエッセンスと制作者の意図を伺うことはできる。
(2015台北電影節|軍中樂園 Paradise In Service)
https://www.youtube.com/watch?v=nR9jDxjho5Y
「軍中楽園」とは、1950年代から1990年代はじめまで実際に台湾にあった軍経営の公娼施設のことで、正式には「軍中特約茶室」と呼ばれ、そこで働く女性たちは「軍伎」「軍娼」と呼ばれた。映画では「八三一(パーサンヤオ)」という呼び名が使われているが、これは当時、実際にあった金門島の慰安所の電話番号で、当時、金門島の兵士たちは実際にこういう呼び方で慰安所のことを話していたという。「史実」に即して、その時代を忠実に再現しようという映画制作者の意図がうかがえる。
映画のストーリーは、台湾で最強・最精鋭のエリート部隊といわれる海軍陸戦隊の特殊部隊部隊、海にもぐって偵察したり海中で敵の艦船に爆弾を仕掛けたりする「龍海蛙人」(フロッグマン)部隊に配属された若い兵士が、肝心の泳ぎができないという理由で「八三一」に「転属」され、慰安所と慰安婦の管理にあたるという筋書きになっている。つまり、「軍中楽園」とは、軍が直接、経営管理にあたり、管理する兵が勤務する軍内の施設であったことがわかる。
「中文維基百科(ウィキペディア)」(https://zh.wikipedia.org/wiki/軍中樂園)の解説によると、「軍中楽園」は戦後、日本が駐留米軍のために作った「特殊慰安施設協会」や韓国が国連軍のために用意した「基地村」と似ていると主張するが、軍が直接運営管理したという点で、旧日本軍の慰安所とは完全に形態は違うことがわかる。旧日本軍の「特殊慰安所」はあくまで「営外施設」とされ、管理運営は民間業者、主として朝鮮半島出身の経営者に任せ、軍が関与するのはもっぱら衛生管理だけだった。そのことは、崔吉城氏の近著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』でも明らかだ。
(姉妹ブログ過去記事「慰安婦問題は徹頭徹尾、韓国国内問題だ」参照)
国民党軍が「軍中楽園」をもうけた背景には、中共政権が成立した1949年以降、中共軍の台湾侵攻を警戒して、大陸との最前線の島、金門島や馬祖島などに大量の国民党軍が派遣され、人口数万の金門島には最大で10万人もの兵士が送り込まれたという事情があった。台湾では1948年から1991年まで戒厳令が敷かれ、「大陸での反乱を平定する」という意味の「動員戡乱時期」とされた。1952年、国民党軍は戒厳令という非常時にあるという理由で、現役軍人の結婚を一律禁止。中共軍からの連日の砲撃に晒される金門島では、兵士の休日もままならなかった。そのため当初は、島の婦女子に対する暴行陵辱事件も頻発し島民とのトラブルも多かったという。軍紀の維持と兵士の「性需要」を考慮するという形で1952年に始まったのが「軍中特約茶室」あるいは「軍妓妓院」と呼ばれる慰安所だった。台湾のこうした軍娼制度が最終的に廃止されたのは1992年、李登輝氏が総統に就任してからだった。「軍妓」「軍娼」と呼ばれる女性たちは、犯罪を犯し、刑の減免と引き換えに「軍伎」になった女性もいたということだが、そのほとんどは貧困など家庭の事情で自ら契約書を交わして「公娼」になった女性たちだった。
<軍事施設を含め金門島の歴史のすべてを公開>
「軍中楽園」のメーキング映像を見ると、映画の撮影のために大規模セットが建設され、当時の写真をもとに、金門島の商店街や店の看板、壁のスローガンまで忠実に再現された。朽ちかけた古い洋館がそのまま再建されて慰安所の建物として利用された。金門島といえば、いまでは大陸からの観光客も訪れる観光地だが、島全体が要塞化された軍事都市でもある。敵の上陸用舟艇の接岸を防ぐため砂浜一面に無数に突き出た杭や、敵のパラシュート降下を阻止するため畑に無数に林立する先端が尖がった柱は、最前線の島・金門島ならではの風景で、映画にもしばしば登場する。また島の軍事施設は、食堂や娯楽施設など兵員の居住スペースを含めてすべて地下に建設されていて、大型軍用トラックが猛スピードで走る地下トンネルやボートが行き来できる地下運河など無数の坑道が縦横に走っている。要するに島全体が地下要塞化されている。ところが10キロしか離れていない大陸側、対岸のアモイ市でも、山を刳りぬいて大規模なトンネルをつくり、その中に軍の施設や工場まで移転させた。1958年10月以降、中共軍は奇数日に金門島を砲撃し、偶数日には打たないというルーティン化、パフォーマンス化した砲撃を1978年まで続けた。互いに実に無駄な時間とエネルギーを消費して地下要塞を建設し、無理やり緊張状態を作ってきたというのが実際かもしれない。
映画は、そうした軍の地下施設でも撮影が行われ、慰安婦が兵隊と一緒に狭い戦闘坑道を逃げ回ったり、砲撃を避けて地下陣地に兵隊と一緒に立てこもるといったシーンもある。
昔だったら軍事機密として立ち入り厳禁のはずが、いまでは地元の金門県政府が撮影の舞台裏を紹介するPR動画を制作し、地下の軍事施設を含めてすべてをYoutube上で公開してしている。時代が変わったといってしまえばそれまでだが、あくまで「史実」に即して事実をありのままに提示したいという映画制作者の熱意が、そうさせたといっていいかもしれない。
(「軍中樂園-側拍花絮」)
https://www.youtube.com/watch?v=Mz56U2E-6js&pbjreload=10
<「歴史に忠実」は、安心感、納得感を与える>
この映画は、台湾では2014年9月に封切られ、最初の4日間で興行収入2800万台湾ドル(約1億円)を突破するなど、大きな反響で迎えられた。その観客の反応が面白かった。映画は慰安所が舞台だけに、男女のきわどい場面もそれなりにあるのだが、祖父母から孫まで「三代同堂鑑賞」、つまり三代一緒、家族連れで見ようというキャンペーンが繰り広げられ、実際に映画館には十代の若者も多かった。徴兵制の台湾では、男子は必ず兵役につき、金門島に勤務する人も多かった。映画を見て、自分が体験した金門島が当時のまま描かれていることに驚き、「懐かしくて感動した」という声や「おじいちゃんもあそこにいたんだぞ」と孫に自慢するお年寄りの姿もあった。「祖父母たちが生きた辛苦の時代をリアルに知ることができて良かった」という十代の女性客の声もあった。中には「映画に登場する女性(慰安婦)はみな可愛かった」というおばあちゃんもいて、興味深かった。
《軍中樂園》映後座談剪輯
https://www.youtube.com/watch?v=6RDxqOJ7RoM&list=PLDPe2ztr7PNCRr_Rb2gDA_PJuWCXQLqtp&index=5
たしかに「軍中楽園」に登場する慰安婦の女性たちは、みな生き生きとし、時にはたくましく、個性的で魅力的だった。そこにうそ偽りがあるとは思えず、彼女たちの表情まで含めてごく自然で、すべての演技は素直に納得できた。彼女らの演技の舞台裏を追った以下のメーキング映像をみていただければ、それはわかってもらえると思う。
(電影《軍中樂園》花絮 - 揭開八三么的神祕面紗 上篇)
https://www.youtube.com/watch?v=G-3V-Gu6y4I
<歴史に対する謙虚、誠実こそたいせつ>
おばあちゃんや若い女性客を含めて、観客の多くが慰安婦という存在にべつに拒否感を示す訳でもなく、当時のありのままの姿として素直に認めているように思えるのは、やはり、映画が当時の時代状況を忠実に再現し、当時の人々が背負わなければならなかった生きるための条件や現実をありのままに描き、どこにも虚飾や偽りがないからではないか。そうだからこそ、見る人たちは映画の世界に安心して没入でき、その時代の真実に触れることができたと納得し、満足し、共感するのではないだろうか。
慰安婦や「戦場と性の問題」というと、どうしても韓国の取り上げ方と比較してしまうが、韓国の人たちの主張に違和感を感じるのは、過去の歴史的事実に関する真摯さ、誠実さが感じられず、虚飾や裏付けのない証言が多すぎることだ。「軍艦島」や「鬼郷」など韓国の映画作りを見れば、彼らの歴史に対する謙虚さや誠実さは微塵も感じられず、過去の真実などいかようにも変えられるという傲慢ささえ感じる。
(姉妹ブログ過去記事参照「やりたい放題、とんでも映画『軍艦島』」)
( 同上 「日本の近代産業史を汚す韓国映画」)
( 同上 「『慰安婦の集団虐殺』とは何のことだ?」)
( 同上 「慰安婦問題を考える①」)
ところで、金門島では、1990年代まであった軍妓・軍娼制度の存在を人々の記憶にとどめるため、かつての慰安所「軍中特約茶室」を保存整備し、記念館として公開している。歴史に正面から向き合い、歴史に忠実であることとは、こういう努力をいうのであろう。
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