北の体制延命を助ける「平壌五輪」

<平昌五輪だけじゃない、2030年W杯共催まで目論む韓国>

韓国文在寅政権は、平昌五輪への北朝鮮選手・応援団の参加と開会式での南北合同入場行進を実現させることで、「平昌五輪」の看板を実質的に「平壌五輪」の看板に変えてしまった。そしてそれだけに満足せず、これを契機にさらに南北間のスポーツ交流を押し進め、北朝鮮チームを韓国国内の各種競技大会に招待するだけではなく、2018年8月ジャカルタ・パレンバンで開催されるアジア大会、2019年イタリア・ナポリでの夏期ユニバーシアードなどでも、南北合同の入場行進と南北合同応援団の結成を計画しているのだという。ここまでは「どうぞご勝手に、お手並み拝見」と高見の見物で済ませばいいが、問題なのは2030年のサッカー・ワールドカップについて、日本・中国と南北朝鮮の東アジア4カ国による共同開催を再び持ち出してきたことだ。1月19日、韓国文化体育観光部(省)が李洛渊首相に報告した「2018年活動計画」のなかで明らかにしたと、韓国聯合報ニュースを引用する形で中国「環球時報」が伝えている。

(「韩国又提中日朝韩合办世界杯,还说最大变数是中国・・・」韓国再び中日朝韓共催世界杯を提案、最大の変数は中国だが・・・


 実はこの東アジア4カ国によるワールドカップ共同開催案は、韓国サッカー協会のチョン・モンギュ(鄭夢奎)会長が去年3月に最初にぶち上げ、6月には、U-20ワールドカップ決勝戦観戦のために韓国を訪れたFIFAのインファンティーノ会長と会談した際に、文在寅が4カ国共同開催を直接提案していた。

環球時報が伝えるように、問題は、2030年ワールドカップの開催地に名乗りをあげている中国だ。大のサッカー好きといわれる習近平の肝いりのもと、多額の資金を投入してワールドカップ出場を目指して選手の育成、レベルアップが進められている。また2008年北京五輪での成功体験をもとに、2022年の冬期五輪を成功させ、さらには2030年ワールドカップの単独開催を目指している。韓国による東アジア4カ国共同開催という一方的な提案は、中国にとって、はた迷惑な横槍でもある。また日本は、すでに2002年ワールドカップで日韓共同開催を経験している。もともと日本の単独開催だったはずが、途中から割って入った韓国によって共同開催という形に押し切られ、苦い失敗を経験している。そうした経験から「韓国とはもう二度と一緒にやらない」という気分のほうが強い。日本もまた2050年までの日本での単独開催を目標にしていると言われる。(「2030年W杯・南北&日中4カ国開催プランをぶちまけた韓国の思惑と現実味」慎武宏『S-KOREA』編集長


それにしても、日本や中国に対して事前の相談や調整もなく、勝手に構想をぶち上げるというのはどういうことだろうか。韓国は、北朝鮮との緊張緩和や朝鮮半島の平和という名目さえ立てば、何でも韓国の好き勝手にできるとでも思っているのだろうか。それこそスポーツやオリンピックに政治利用に他ならず、純粋にスポーツを愛し競技を楽しむ世界のスポーツファンのことなど、何も考えていないということになる。

とりわけ文在寅の親北左派政権は、核・ミサイル開発を進める北朝鮮問題と米朝の軍事的緊張を逆手にとって、戦争を回避し少しでも平和・友好を演出できれば、何をやっても済まされると思っている節がある。国連安保理を中心とする世界は、北朝鮮の核・ミサイル開発を断念させるため、最大限の制裁圧力をかけ、金正恩の個人独裁体制に変更を迫っている。平昌五輪への参加を決めた北朝鮮が何かと注目を集めることで、何やら主客逆転し、南北合同チームの結成、応援団、芸術団の派遣などすべては北朝鮮ペースで進められている。核ミサイル開発のための時間稼ぎを狙う北朝鮮にとっては、平昌五輪をかき回し自分たちのペースで利用しつくすのが目的だから、これでいいのである。

韓国は、南北スポーツ交流を大義名分に北朝鮮をうまく取り込んだつもりかもしれないが、実態は北朝鮮にすべて牛耳られ、韓国側がうまく利用されているに過ぎない。北朝鮮はこの間も核・ミサイル開発を密かに、着々と進めているのは間違いない。国際的な北朝鮮制裁強化の流れのなかで、平昌五輪後の2018年アジア大会や2019年ユニバーシアードまで、南北が手をつないで友好ムードを演出すれば、核ミサイル問題の最終的解決はさらに遠のくことになる。まして2030年のワールドカップ開催の年まであと12年も金正恩独裁政権が続いていることなど、考えるだけで悪夢としかいいようがないが、韓国が北朝鮮に甘い顔と薄ら笑いをみせることは、北朝鮮の核・ミサイル体制を完成させ、金正恩独裁政権をそれだけ延命させ、世界に危機をそれだけ拡散することにつながり、北朝鮮の民衆にとっては、耐えられないほどの抑圧と苦難がさらに長く続くことになる。そんなことが許されていいはずがない。

<「太陽政策」は北の独裁体制を延命させ核実験を成功させた>

北朝鮮に甘い顔をして、援助の手を差し伸べることが、結果的にどういう結末をもたらすか、その典型例が、金大中政権による「太陽政策」だった。90年代、北朝鮮は100万人とも200万人とも言われる餓死者を出し、「苦難の行軍」と呼ばれる時代が続いた。北朝鮮の民衆は、金正日独裁政権の崩壊を望み、密かに研究を続けていた核開発も、食料もままならない研究者や軍人たちの困窮で放っておけば失敗するはずだった。ところが、1998年、韓国に金大中大統領が登場し、北朝鮮への「太陽政策」を始めたことで、金正日の首はつながり独裁体制は延命され、頓挫しかかっていた核開発も息を吹き返し、ついには2006年初めての核実験成功につながった。

そうした事情を生々しく証言したのが、脱北女性が書いた「豊渓里(プンゲリ)」という小説だった。この女性は、核実験場がある豊渓里で核開発に携わった研究者を夫に持ち、90年代の苦しい時代に坑道を堀り核実験場を整備する建設工事や2006年初めての核実験成功の瞬間を身近に体験している。

その夫は、「40歳の手前で歯がすべて抜け落ち、肌も黄色く変色し・・・息が止まるほどの痛みに耐え、苦しみながら亡くなった」という。放射線の影響は明らかだった。「恨めしいのは、飢えと貧しさに苦しむ住民たちに、当地で核実験が行われているのが一切知らされていなかったこと」だという。「豊渓里のような貧しい地方と平壌との格差は酷く、国中が困窮して研究も思うように進んでいなかった。94年に金日成主席が亡くなると、都市部でさえ配給が止まる飢饉が国全体を襲った。実験場の軍人も、支給された靴や制服を食料と替えたり、住民の鶏を盗んだりして飢えを凌いだ。国境を越える脱走兵も多く出て士気が下っていたが、98年、金大中政権が発足。「太陽政策」が始まると、食糧事情も見違えるよう良くなった。「研究者や軍人の家族は最上級の配給を受けることができ、米や卵、豚肉などが豊富に与えられました。結果として、中断していた坑道工事も盛んになった」という。

「多くの国民は政権崩壊を望んでいたのに、金大中大統領が、金正日(キムジョンイル)総書記の手を握り北朝鮮を救ってしまった。そのまま放っておけば、核実験の成功はおろか、間違いなく独裁体制は崩れていたでしょう」。

(「脱北女性が見た北朝鮮核実験場「豊渓里」死の光景 研究員だった夫は歯がすべて抜け落ち…」デイリー新潮2017/12/18)


韓国では、金大中、盧武鉉の流れを引く親北の左派政権が再び北への融和姿勢を打ち出している。しかもローソク集会の「民意」で誕生したはずの文在寅政権は、今度は大多数が反対しているという民意を無視して、南北合同チームの結成など平昌五輪の北朝鮮参加を推し進めている。韓国は、過去の失敗を再び繰り返して、北朝鮮の金正恩体制を延命させ、核ミサイルを持った独裁者の誕生という後戻りできない状況を作り出そうとしているのではないか。

周縁から中国を覗く

拡張覇権主義のチャイナの姿をその周縁部から覗いてみる。そこには抑圧された民族、消滅させられていく文化や歴史が垣間見える。

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