朝鮮戦争前後の民間人虐殺事件をどう釈明するのか
<「被害者」の救済より問題の永続化が狙い?>
普通の人間の思考や感覚では理解できないことばかりの国が韓国である。
韓国の人たちは、日本統治時代は自由も人権もなく、徹底的に搾取され、迫害されたと主張し、教科書でもそう教えられているが、実際は、独立解放後のほうがはるかに多くの人間が殺され、非業の死を遂げていることをどう思っているのだろうか?共産党ゲリラとして鎮圧されたり、騒乱事件として村ごと虐殺されたり、多くの住民が何の理由もなく無残に虐殺されている。その数は数十万から百数十万人以上に及ぶとされる。
不確かで偽りの証言ばかりの、いわゆる「慰安婦」や「徴用工」については、日本に対して「謝罪だ、賠償だ」と未だにかまびすしいが、朝鮮戦争前後の自国の犠牲者については、その真相究明や被害者遺族の救済、責任者の処罰などはほとんど行われていない。
韓国政府、大統領府青瓦台は、いまだに110年あまり前の朝鮮王朝と同じ気分でいるのではないかと思うほど、国民に対する姿勢は王朝時代と何も変わっていない。彼らは、国民のことを王朝時代の「民草」と同じで、名も人格もない無知・無能な集団としか思っていないのではないか。
事件の犠牲者について、数十万とか百数十万とか、丸い数字でしか提示できないことに、それは如実に表れている。犠牲者の個人名が出てこないからだ。日本なら、広島・長崎の原爆死没者にしても沖縄戦の犠牲者にしても一人ひとりの名を記した名簿が毎年更新され奉納されるし、沖縄・摩文仁の「平和の礎」のように犠牲者全員の名前が追悼碑に刻まれる。
韓国で、「被害者」の個人名が掲げられている碑文は、ソウル南山北麓の「記憶の場」にある「慰安婦247人」の名前を刻んだ「大地の目」というモニュメントだが、韓国の慰安婦支援団体が主張するように彼女らが全員「レイプ被害者」だとしたら、その個人名を公に晒すことの意味はいったい何だろうか。被害者個人のプライバシーや人権など関係なく、ただ日本への憎悪をかき立てる手段にしかならないであろう。実際に247人の名前のうち一人の名前は削られている。勝手に名前を刻まれたとし、名前の女性本人が「家族に申し訳ない」とノミで削ったと証言している。
ところで、元「慰安婦」として韓国政府が認定したのは240人ほどだが、そのうち今(2022年1月現在)も生存しているのは13人だけ。また、いわゆる「徴用工」裁判の原告らも実際の体験者はわずかで、その遺族らが裁判を起すケースのほうが圧倒的だ。つまり、賠償といっても本人を直接、救済する手段にはなっていないのである。むしろ「被害者」の救済より、日本を非難し貶める材料として、問題を長引かせ、永続化させることのほうが目的ではないかと勘ぐってしまう。
<「済州島4.3事件」犠牲者に74年ぶりの補償金>
そうした中、朝鮮戦争前後の住民虐殺事件のうち、「済州島4・3事件」について初めて、行方不明者を含む犠牲者に対して1人当たり9000万ウォン(870万円相当)の補償金が支給されることになったというニュースが伝えられたのは、ことし1月4日のことである。
<中央日報22/01/05「済州島四・三事件の犠牲者9000万ウォン…韓国戦争前後に民間人虐殺、韓国政府初めての補償」>
それにしても、事件発生からすでに74年が立っていて当時を実際に経験した人はほとんどいないはずだ。事件そのものを知らない遺族に補償金が支給されたとして、それにどういう意味があるのだろうか?
「済州島4.3事件」とは、李承晩政権が進めた38度線南側だけの単独選挙に反対して南朝鮮労働党の左派勢力が島民らを煽動して1948年4月3日に起した騒乱事件で、朝鮮戦争を挟んで1954年9月まで続く島民の虐殺事件で、NEWSWEEK誌によると、政府軍・警察の粛正によって島民の5人に1人に当たる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされたといわれる。まさにキリングフィールドである。<NEWSWEEK 2000/06/18 “Ghosts Of Cheju” >
事件はその後、「反共」を国是に掲げてきた韓国では、イデオロギー対立によって、事件を語ることさえタブー視され、事件の詳細や責任の追及もされてこなかった。軍と警察が初めて公式に謝罪の意を表明したのは、事件から71年目となる2019年3月のことである。そして「済州島4・3事件の真相究明と犠牲者の名誉回復に関する特別法」が先月12月9日、国会本会議で成立し、1月4日、政府の閣僚会議でも議決され必要な法的手続きが終わったことで、74年ぶりに初めて犠牲者に補償金が支払われることになった。
実は、済州島4.3事件に関連して「麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件」という大規模殺害事件も起きている。1948年の大韓民国建国当時、共産主義政党の南朝鮮労働党(南労党)は各地・各組織に党員を浸透させ、反乱や騒擾の機会を窺っていた。そうした中、済州島4・3事件鎮圧のため出動命令が下った国防警備隊の全羅南道麗水郡と順天郡に駐屯する部隊の中で、南労党の党員が反乱を扇動し、これに多くの隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。李承晩大統領は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後には反乱部隊は鎮圧されたが、残兵はその後、山中へ逃げ込み、長くゲリラ活動を行って抵抗が続いた。この事件を処理する過程で、左翼勢力の摘発・弾圧は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害されたとされる。
今回、「済州島4.3事件」の犠牲者に対する補償金の支給が決まったことで、「麗水・順天事件」の犠牲者にも当然、補償が行われるべきだという声が上がっている。
<犠牲者最大120万人という民間人虐殺「保導連盟事件」>
ところが、民間人虐殺事件は、これだけに収まらない。当時、韓国軍は「堅壁清野(けんぺきせいや)作戦」と称して、共産主義ゲリラ討伐のための徹底的な焦土化作戦を行った。「堅壁清野」とは「必ず確保すべき戦略拠点は壁を築くように堅固に確保し、やむを得ず放棄する地域は人員と物資を清掃し、敵が留まることが出来ないよう野原にする」という意味だ。この作戦によって「山清・咸陽虐殺事件と居昌虐殺事件などが起き、犠牲者の数は総計1424名にのぼった。慶尚大学校教授李昌鎬は、この事件はジェノサイド、人道に対する罪に該当する戦争犯罪であるとする。
<李昌鎬「朝鮮戦争期の民間人虐殺事件に対する 刑事法的対応 ――山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件を中心に――」立命館法學2012>
さらに、最大120万人の民間人が虐殺されたとされる「保導連盟事件」もある。1950年、朝鮮戦争の最中、韓国軍、警察、李承晩大統領支持者らが共産主義からの転向者やその家族を再教育するためとして設立した「国民保導連盟」のメンバーなど民間人を大量虐殺した事件である。
ハンギョレ新聞の日曜版「ハンギョレ21」の2001年6月20日付の記事によると、殺害されたのは「左翼人士及びその一家・親戚、国民保導連盟員、刑務所の収監者(政治犯)、避難民、第二戦線地域住民、反逆容疑者、共匪及び通匪容疑者、不特定多数の民間人に至るまで計り知れない」としている。そして「韓国戦争勃発51周年になる今(2001年)も、被殺者全体の数は正確に明らかになっていない。大韓民国政府樹立前後の混乱期と戦争の惨禍の中で「赤(パルゲンイ)の処断」を名分に無差別虐殺と闇埋葬が行われたからだ。(研究者は)「釜山では地域の野山を掘り起こすだけでも被殺者の遺骨を簡単に確認できるほど」と話した。学界は、各種資料分析や遺骨発掘などの研究作業を通じて、少なくとも60万人から最大120万人の民間人が韓国戦争前後に虐殺されたものと推定している。」
<「ハンギョレ21」2001/6/20「少なくとも60万人、最大120万人-掘れば掘るほど出てくる遺骨、いったいどれだけの民間人が虐殺されたのか」>
朝鮮戦争から半世紀、真相解明と謝罪、賠償を求めて2000年9月に結成された「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」はその創立宣言文で、
「政府が自らの過ちを正すという誠実な姿勢で民間人虐殺の真相究明に臨むことを強く促し求める。▶政府は朝鮮戦争前後の民間人虐殺に対する一切の資料を公開し、真相究明のための特別法を制定し、被害遺族と関連専門家を含めて真相究明のための機構を即刻発足させろ!▶政府は軍隊・警察による民間人虐殺に対して被害遺族と国民に謝罪し、徹底した真相調査に基づき、賠償を遺族に対して実施しろ!」などと要求しているが、結成から20年たった今も、何も実現していない。
自分たちの過去のこの世のものとは思えない地獄図絵については、いっこうに真摯に向き合おうともせず、なかったようにするかのように無視しておいて、証拠も実態もない「強制徴用」だとか、虚言・虚飾に満ちた「慰安婦」については、なかったことをあったことにするために、国家的詐欺劇を繰り広げる。彼らには、「天地に恥じる」という観念も「ウソをつくことが恥ずかしい」という感覚も持ち合わせないのであろう。
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